会社沿革

HISTORY

新交通システムヘの取組み

ポートアイランドの概要

神戸市か「人間性と緑あふれる国際色ゆたかなまち」をテーマに、三宮から新港第四突堤のポートターミナルを経て、南へ約3kmの神戸港の中心に造成した人口島がポートアイランドである。昭和41年度に始まった面積約436 ha(甲子園球場の約 120倍)の埋立造成工事は、昭和54年を迎えたころには、56年 3月から半年間開催される“ポートピア'81"(神戸ポートアイランド博覧会)をめざして住民2万人の都市施設、すなわち道路をはじめ市民広場、公園、新中央市民病院、ホテル、レジャーランドなどの建設が急ピッチで進んでいた。 
施設のなかでもすでにコンテナバース9棟、ライナーバース 15棟が稼動中で完成時には29隻の大型船が同時に繁留が可能ということで、 ポートアイランドの活気を盛り上げていた。こうしたなかで最も話題を集めていたのが53年5月に起工されていた神戸新交通株式会社の新交通システム・ポートアイランド線の建設であった。 

ポートアイランド線工事

国鉄三宮駅から貿易センタービル、新港第4突堤を経てポートアイランドに至り、島内をめぐる延長6.4 km全線商架構造の新交通システムが、ボートアイランド線である。電気を動力とし、ゴム車輪を使用してコンピュータ操作で運行し,、1日約7万人の市民の足を確保するのが目的であった。もちろん、安全・低公害・経済的そして快適な乗心地であることを前提とした新しい交通機関でもあった。
車輌は神戸製鋼と川崎重工株式会社様、三菱重工株式会社様の地元3社が共同で開発したKNTシステム(KOBE  NEW  TRANSIT  SYSTEM)を採用。車輌の長さ8m・幅2.4 m・高さ3.2m、定員75人乗 りの側方両側案内方式を採用した車輛(浮沈式分岐)であった。

▼ポートアイランド線神戸港付近

神戸市における計画は埋立造成工事の進捗と並行して検討が  続けられ、昭和46年12月に「新交通システム開発調査委員会」が発足した。運輸・建設両省の調査が48年3月まで実施されたのに基づき、49年12月から52年2月まで「神戸市新交通システム機種選考委員会」で機種の調査と検討か続けられた。52年3月、神戸市市議会は新交通システムの建設と経営主体 (第3セクタ一方式)について議決した。これに伴って7月には 「神戸新交通株式会社」(神戸市が50%の出資)が発足、翌53年 5月に起工式が行われ建設が始まったのである 。計画によると延長6.4 kmで、そのうち複線部が2.9 km単線が3.5  kmとなっており駅数は複線部4駅、単線部5駅の合計9駅で、昭和60年以降に乗客数1日6万8,000人、ピーク時に1時間1万人か見込まれた。建設工事は“ポートピア'81”の開催に間に合わせるべく進行し、昭和54年に至って当社は、神戸新交通ポートアイランド線走行路築造工事を川崎重工株式会社様から受注することになったのである。
本工事では走行性を高めるための走行路面の平坦さの追求、曲線部分の合理的施工、エポキシ樹脂の塗布などについて細心の注意が求められた。ことに当初よりも工期が縮小されたこともあり、計画通りの線形を施工する土木工事自体にも技術的努力が求められた。 工事は三期に分かれ、その1は生田区港島内の1,552 m、その 2は生田区新港町および港島間の3,212 m、同年10月にはさらにその3の工事として、葦合区雲井通8丁目(国鉄三宮駅)~生田区新港町間の3,447 m及び車庫引込線612 mであった。単線延長8,823 m走行路築造工事は翌年4月30日完了し、昭和 56年2月に開通した。