会社沿革

HISTORY

軌道ブロック製造会社の設立

昭和35年、連接軌道の実用化、連接軌道ブロックの生産開始による販路拡張、事業の活発化に伴って神保町の事務所では手狭になり本社を渋谷区大和田町110番地に移転した。神田のビルは、陽当りが良くなかったため明るい新事務所に一同大喜びであった。 
この本社移転と前後して35年6月、東京都下昭島市に連接軌道用コンクリートプロック製作工場を設立した。 

ムサシコンクリート株式会社設立

連接軌道プロックの自社生産は実用化を背景にして切実なものとなった。そこでムサシコンクリート株式会社を設立した。工場用地は約300坪、会社の概要は次の通りであった。 
査本金 300万円 
代表取締役杜長 渡辺英夫
取締役 2名
ムサシコンクート株式会社はコンクリート製品の製作販売を主体に営業を開始した。初期の設備はコンクリートバッチャープラント・セメントサイロ・フォークリフト・連接軌道ブロック型枠等であった。 
 ムサシコンクリート時代のエピソードに次のようなものがある。
箱根の芦の湖は、四季を問わず多くの観光客が訪れるが、その芦の湖観光船の造船台はムサシコンクリートでつくられた。造船台のコンクリートブロックの軌道敷設とレールの締結装置取付け工事を受注したのであった。 
この船台は水中まで入るもので、最難関は水中にブロックを敷設することであった。当社にとってもこのようなケースは初めてであった。工事は渡辺社長のアイテアを取り入れて行われた 。
 水中にプロックを敷設するためにわざわざ静岡から潜水夫 を雇い、軌框をドラム缶で浮かせておいてから徐々に沈めるという方法であった。 
この方法が効を奏して無事造船台は完成した。
またある時、工場の紹介を兼ねて連接軌道ブロックを10丁はどポストテンションして両端で支え、空中に浮かせて中央部分にブロックを載荷する実演をして見せたことかある。参加したのは、国鉄関係者をはじめとし20名ほどの鉄道関係者だったが、果せるかな目論見どおり大成功であった。 
しかし、連接軌道の需要はムサシコンクリートの規模をこえていきまたたく間に工場は手狭になってしまった。 
そこで、将米の霜要をも考慮して土地を物色し茨城県古河 市に適地を求めた。この土地は約3000坪であった。これが現在の利根工場である。 
ここでムサシコンクリート株式会社はその使命を終え37年 4月、発展的に日本軌道工業に吸収され解散したのであった 。

桃源台の造船台(軌框用コンクリートブロック)

桃源台の造船台